自由に、ワガママでいいんだ
まだ幼い頃から、母に、「オマエはワガママだ」と言われ続けてきたことが頭の中にこびりついている。
それは、母に褒められた記憶がないことよりもずっと、わたしの中に影を落としてきたと思う。
何がきっかけだったのか、母も忘れていて、わたしも定かではないが、よく言われて、悲しかったことだけはよく覚えている。
8月に父が亡くなり、早生まれのわたしは、その年の11月に七五三の予定だった。同い年の子たちはほとんどがその前の年にやっていて、何で自分は来年なのか、みんなと同じがいい、と言ったけど聞き入れられなかった。
そしていざ翌年、父が亡くなり喪中だから、来年にしましょうと言われた。1年待ったのに、来年なんて…小学2年生、8歳で七五三なんてやる子いないと悲しくなった。
お父さんが亡くなったばかりだから、と言われても、どうしても晴れ着が着たくて、わたしはだだをこねた。来年なんて絶対に嫌!2年生で七五三やる子なんてどこにもいないよ!どうしてもやりたい!と泣き叫び続けた。
とうとう母も根負けして、神社にお参りできないから、写真撮るだけね、ということになった。
このとき、ワガママを通してもらい、綺麗な着物を着せてもらったけれど、何かすっきりとしないものがあったのだろうと思う。
今となっては、母の言ったことも理解できるけれど、幼い私は、もう我慢ができなかったのだ。
そして、ワガママ言う子は、悪い子、という罪悪感がしっかりと植えつけられた。
それからわたしは、母に嫌われたくなくて
母の顔色を見るようになった。
そして、ワガママと言うべき自己主張の区別がつかなくなり、自己主張のできない子になっていった。
今さらながら。呪いの言葉だな、と思う(笑)
人をコントロールするためのね。
そこまで考えて発したわけじゃないだろうけど。
もう母や人の顔色見なくなってきたけれど
まだ時々わからなくなる。
たくさん我慢をして封じ込めてきた思いがある。
人から軽く見られたり、都合よく扱われたり。
そんなことを続けていると、時々、抑えきれなくて爆発してしまう。
もう遠慮はしないし、自由に、言いたいこと言って、どう思われてもいい、
ワガママに生きる!って心に決めた。