クリスマスを祝うという意味、そしてミサに感動する
クリスマスイブの夜、初めて教会のミサに参加してみた。
家から比較的近くにある美しい教会、というのにも興味があったし、
どんなイベントなんだろう?って思っていた。
参加して感じたのは…心温まる素敵な儀式に感動し、また来年も来たいって思った。
クリスマスは主の生誕祭。親しいひとたちと祝う、のはそうだけど、日本では本来の意味と離れたイベントになってしまっている。それも信仰がベースではなかったのだから、しかたないことなのかな。
ミサはただ牧師さんのお話聴いて賛美歌をちょこっと唄って…ぐらいに思ってたのだが
がっつり参加型で、賛美歌もいっぱい唄って、信者でない人も司祭さまから祝福受けられて、満足度高い。参加費は無料だけど、寄附はお渡しした。お渡ししたいと思う気持ちになる。
参加者は、結構若い世代が多い感じ。なんだろう、先行き見えない、努力しても報われない希望をもちにくい世の中だから、理不尽なことも乗り越えるのに心の拠り所がほしいと思う、同じように感じる人が多いのかなとも思う。
ひとはひとりなんだけど、ここに来るとみんなと繋がってるような一体感がある。
この広さとひとの多さはまるで、ライブのようだ。
入り口で、今日の台本を渡され、それに沿って皆が参加していく。話しを聞き、答えて、歌もたくさん唄うことで、心に浸透していくし、参加してる満足感がある。エンタメ感あり。
1時間半があっという間で、疲れを感じない。
清らかなエネルギーをもらったような感じがする。
ところどころで涙があふれてきた。承認されてる感て、すごい。
そこだよね、きっと。
キリスト教って、日本でももっと信者が増えていくんじゃないのかな、と思った。
日本のお寺や神社にはこういう感覚は、感じられなかった。神聖な気持ちになれるけど個々での感じ。みんなと繋がる、という感じや、ここにいていい、って思わせてくれる感じが。うまく言えないけど。
まだ言い足りない感じも残るけど、今日はここまでにします。
ここに来たことで大切なことを教わった、と思える喜び。感謝です。
キャンドルの灯りが希望の光に見えてきました。